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6月25日 前編 ボウリング・スペシャル

 

 

 ひどく暑い日だった。だからといって、おもしろくとも何ともない。ただただ暑いだけ。わたしは駅前のドラッグストアで水を買った。喫煙所を見つけたのでそこに入った。火を噴くように躯から汗が垂れ出して、買ったばかりの新しいシャツを濡らした。二本目の煙草を吸い終わり、わたしはボウリング場へ向けて歩き出した。

 

 その日のわたしは体調があまり良くなかった。というより、わたしはいつも体調が良くなかった。頭痛。自律神経の乱れ。吐き気。歯痛。目のくすみ。関節痛。赤みがかった肌。足の裏のズキズキとした痛み。これらの原因は主にアルコールであり、あとは煙草の吸い過ぎと脂っこい食事の摂り過ぎ、そしてストレスが関係しているらしかった。しかし改善しようとは思わない。わたしは怠けていてこそ、わたしでいられるのだ。

 

 ボウリング場に入ると、男たちと女たちの騒がしい音が聞こえてきた。メイドとその客たちだった。人生を楽しもうと必死になっている馬鹿な奴らだ。彼らの人生は、わたしからすれば、文学とは正反対に位置していて、どこを切り取ってもつまらない。ジム・ジャームッシュの映画を見ている方がまだマシだ。彼らはくだらないことで大笑いするくせに、本当に面白いものを前にすると一切笑わなくなる。これから彼らと一緒にボウリングをするのだと思うと、わたしは低血圧で倒れそうになった。

 

 受付を済ませ、Mちゃんがいる十七番レーンへと向かった。彼女がわたしを見つけて手を振る。手の先にはピンク色の爪が付いていた。それは加工肉のように淡いピンクで、体を動かそうとする意欲を打ち消す色だった。わたしの好みの色だ。

 

 第一ゲームが始まった。Mちゃんが緑のボールを掴み、均等に並んだピンを目掛けて投げる。投球フォームはまるで暗い地下のバーでカクテルを飲んでいるようなゆったりとした落ち着きがあった。球は小雨のように静かに落下し、ふんだんに油が塗られたレーンを遅い速度で滑っていった。

 

 Mちゃんの放ったボールは六番ピンの真ん中に命中した。ボールは右の方向にやや傾いているが縦に回転していて、そのまま九番ピンと十番ピンの間を通り、撥ねた九番ピンが隣の八番ピンと五番ピンを巻き込んで倒れた。悪くない倒れ方だ。次はレーンの右側から足を踏み込んで一番ピンを狙えば簡単にスペアが取れる。

 

 しかし彼女はスペアを取れなかった。というより、取ろうとしていなかったように見えた。彼女は投げる瞬間に手首を手の甲の側に返し、またもや縦に回転をかけられたボールは一番ピンの右の虚空を抜けていった。投げ終えた後、彼女はギャラリー席を振り向き、苦々しい顔で投げた方の手に目を遣って、感覚がずれたとでも言いたげにその手を空中で小さく二、三度振った。その様子を見ていたチームのメンバーたちが彼女に励ましの声を掛ける。しかしわたし一人だけは彼女の投球に違和感を感じていた。

 

 わざとだ。Mちゃんはわざとスペアを取らなかったのだ。チームのメンバーがそのことに気付いていないのは、Mちゃんの実力をよく知らないからだろう。彼女は運動がとても得意だった。小さな頃から体術を習っていて、高校では砲丸投げとリレーの選手としてインターハイに出場した経歴もある。そんな彼女が、いくらネイルを塗ったハンデがあったとしても、あの状況でピンを一つも倒せずに終わるということは有り得なかった。だが、どうして意図的にスペアを外す必要があるのだ? わたしの思い違いの可能性もあるが……。

 

 わたしの投げる順番はフレームの最後だった。第一フレームでは、わたしは五ピンのみの結果に終わった。この結果についての言い訳は山ほど思いつくが、最も信用性が高い原因としては、わたしの手が子供みたいに小さかったことだ。

 

 そのまま試合は続いていった。Mちゃんは第六フレームと第八フレームでそれぞれスペアとストライクを取り、しかしその他のフレームでは何本かピンを残したままという結果に終わった。わたしも同じような感じだった。試合後はブレイク・タイムに入り、わたしはMちゃんの元へチェキを撮りに行った。

 

「やあ、調子が悪いみたいだね」とわたしは言った。

 

「そうなのよ。爪が長いからボールを上手く扱えないの」

 

「だとしても、君がこんな結果に終わるとは思えない。何かあったの?」

 

「何も無いわよ。ただ調子が悪いだけ。そもそもこんな蒸し暑い日にボウリングをすること自体がおかしいのよ」と彼女は言い残し、そのまま歩いてトイレの中へ入って行った。

 

 わたしは、彼女に見つからないように、彼女の後を着いて行った。トイレの入口から中をこっそりと覗き込むと、鏡の前でMちゃんが誰かと話をしているのが見えた。すぐに隠れたため、相手の顔は見えなかった。わたしは彼女たちの会話に耳を傾けた。

 

「言われた通りにやったわよ」とMちゃんの声。

 

「お疲れ様。次の団体戦も頼んだわ」と相手の女が言う。

 

「わかったわ。それで、あの件はどうなってるの?」

 

「試合が終わったら手配するつもりよ。もちろん、次の試合であなたのチームが負けたらの話だけど」

 

「本当に信用していいんでしょうね」

 

「大丈夫よ。組織の人間には私から頼んであげる。でも正直驚いたわ。まさかあなたの方から取引を持ち掛けてくるなんてね」

 

「大切な人を守るためなら、手段なんて選んでられないわ」

 

「そう。私には関係ないことだからどうでもいいけど、あなたの先輩として一つだけ忠告しておくわ。イン・フィニアを見くびらないことね。あなたみたいに組織に反逆したメイドを何人も見てきたけど、全員彼らに殺されたわ。しかも事故に見せかけてね。あなたが同じようにならないことを祈ってる。じゃあ、ボウリング頑張ってね」

 

 相手の女はそう言うと、女子トイレから出てきた。わたしは咄嗟に男子トイレへ隠れ、そこから女の顔を見た。わたしがよく知っている顔だった。しかし、そんなはずはない。なぜこんなところに居るのだ。だって彼女はもう……。

 

 

中編へつづく