5月5日 ちいかわ
わたしが八歳の頃、わたしの母親は軽食用テーブルの上にコレクションチェキを一枚だけ書き残してどこかへ消えてしまった。父親はひどく落ち込み、外で飲み潰れて家に帰ってこない日も多くあったが、それでもわたしのことをたったひとりで養い育てた。
わたしは十八になり、東京の大学に通うことが決まった。わたしが生まれ育った家を出る日、父親は初めてわたしの目の前で涙を流した。
「これからはひとりで頑張るよ、父さん」
大学生活の初日。わたしは朝、起きれなかった。
その日は授業の履修登録についてのガイダンスがある日だった。わたしはガイダンスを受けることができなかったため、もちろん履修登録のやり方が分からない。周りは知らない学生ばかりで、わたしに履修登録を教えてくれる友だちはひとりもいなかった。
わたしは履修登録ができず、そのまま大学をやめてしまった。
わたしは怒られるのが怖くてしばらく父親に報告できなかったが、夏に帰省した際、父親にすべてを打ち明けた。
父親は、わたしの予想に反して、あまり怒らなかった。それどころか仕送りを今まで通り続けると言った。きっと、わたしが母親の愛情を受けずに育ったことがすべての原因だと考えて、わたしが大学をやめたのも自分自身に責任があると解釈したのだと思う。
それから七年が過ぎた。わたしはいまだに父親の仕送りを頼りにして東京でひとり暮らしをしている。
五月五日。わたしは午後二時に起きて、ウイスキーのパイント壜をベッドの上で飲み干し、シャワーを浴びてから秋葉原へ向かった。
最初にアキカル店へ入った。ビール、オムライス、そしてチェキを二名分注文した。祝日だったが、店内は混んでいなかった。かわいらしい女の子たちが次から次へとやって来た。みんながわたしに優しくする。
路地で吐いてから、エレベーターに乗って本店七階へ移動した。
七階の入口にはMちゃんがいた。彼女はわたしに三回もコレクションチェキを渡したことがある。彫刻家であるフランス人の父親とスパゲッティを茹でるのが上手い母親の元にひとり娘として生まれ、飲料水の代わりにダイエット・コーラを飲まされて育てられてきた。特徴的な大きい瞳の奥にはドラゴンが封印されている。
わたしはビールとMちゃんのチェキを注文した。
チェキ撮影。わたしは悪魔が神に逆らう瞬間を模した宗教的なポーズをとった。シャッターが降りる瞬間、Mちゃんの瞳の奥が真っ赤に染まった。ドラゴンが火を吹いたのである。
撮影が終わり、わたしは自分の席でしばらく待つことになった。
「ああ! これからチェキのお渡しが始まると思うと、いてもたってもいられない! まるでコース料理のメインが運ばれるの待っている六歳の少年みたいな気分だ!」
わたしは思わず叫んでしまい、他の客たちが一瞬、わたしのことを見て、すぐに目を逸らした。
Mちゃんがわたしのチェキを持ってきた。
「このチェキを胸ポケットに入れて海辺を散歩したいね」とわたしは言った。
「海辺を散歩するなら夜がいいわ。波たちの奏でる悲しいバラードが聴こえるもの」
「きみなら貰ったチェキをどう使う?」
「すべて燃やしちゃうかもしれない」
「きみらしいね」
わたしは店を出て、缶ビールを飲みながら帰路についた。
家でわたしの帰りを待っていたのはレコードの針だけだった。わたしはモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番を聴きながら眠りについた。