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6月4日 コレクションチェイク

 

 コレクションチェキ、かく語りき。

 

 わたしは六月から大学で哲学を教えている。ソクラテスプラトン、カント、フロイト孔子サルトルキルケゴールハイデガーライプニッツ。彼らはみんな偉大な哲学者たちだ。わたしは彼らを愛し偶像化している。とくに憧れているのは、やはりニーチェ。彼がすでに死んでいてよかった。もしまだ生きていたら、わたしは彼のサイン欲しさにブロマイド写真を買いすぎて破産していただろう。

 

 だが。彼らの思想がどれだけ立派であっても、わたしたちの生活に必ずしも実用性があるとは限らない。

 

 ニーチェによると、傘を盗むのはいつだって夜メイドである。(被害に遭うのは朝メイドだ。)しかし実際のところ、傘を盗んだ犯人が夜メイドかどうかは、捕まえてみないと分からない。盗みがおこなわれる時間、傘を置いていった朝メイドはもう自宅に帰っていて、消化したアミューズメントの数をのんきに数えているところだ。一体だれがこの犯罪者メイドを捕まえることができるだろう。ニーチェの思想は空論にすぎず、実証が不可能である。この哲学がほんとうに正しいかどうかは、罪を働いた者にしかわからない。

 

……

 

 講義が終わった後、一人の女子学生が研究室をたずねてきた。

 

「カントの『純粋理性批判』について説明してほしいのよ」と女子学生は言った。

 

「かんたんだよ。実際の世界と見えてる世界はちがうって話」

 

「えっと……」

 

「わかりずらい? だったら、コレクションチェキに置き換えて考えてみなよ。実際に会ったメイドとコレクションチェキに写っているメイドは顔が少しちがってみえる……」

 

「理解できたわ! ありがとう!」

 

コペルニクス的転回……いや、コレクションチェキ的転回ってやつさ」

 

……

 

 六月四日。わたしは講義を終えてから秋葉原へ向かった。

 

 本店七階への階段を上る瞬間、熱のこもった風がわたしの頬を撫でた。季節は夏。冷えたビールがわたしを呼んでいる。

 

 わたしが店のカウンター席に坐ると、Mちゃんが注文をとりにきてくれた。わたしはビールとチェキとコレクションチェキを頼んだ。

 

 しばらくすると、Mちゃんがステージの上でマイクを握るのがみえた。わたしはすぐに自分の名前が呼ばれると思ったが、なかなか呼ばれず、次々と他の客の名前ばかりが店内に響いた。どうやらわたしの順番はもっと後ろのようだった。

 

 ところで、わたしはこのチェキの呼び出しが大っ嫌いだ。待ち時間が長いし、まるで区役所にきたような気持ちになってしまう。退屈せずにすむように、インフォメーションの横に本棚を立てて、『進撃の巨人』を全巻置いてほしい。

 

 結局、わたしが名前を呼ばれたのは最後から二番目だった。ステージへ向かうために席を立つと、隣に坐っていた見ず知らずの婦人がわたしに声をかけた。歳は五十くらい。髪がまっすぐで、きつい香水のにおいがした。

 

「あなた、財布をテーブルの上に置きっぱなしよ」

 

「心配ないよ。すぐに戻ってくるし」とわたしは言った。

 

「だめよ。知らないの? 本店七階では置き引きが増えてるんだから」

 

「そうなの?」

 

「あなたブロンズご主? この階では常識だわ。人って、チェキを撮っている時間がいちばん無防備になるの。連中はそれを知っていて、あなたみたいな一人客をつねに狙っているわ」

 

「じゃあ、盗られないようにきみが見ててくれよ」 わたしはそう言い、財布を置いたままステージのほうへ歩いていった。

 

「ちょっと!」

 

……

 

 ステージでMちゃんがわたしを待っていた。

 

 Mちゃんの出身はエルヘブン。大陸の窪地にあり、外界から船で海の神殿を通らないと訪れることができない場所だった。彼女はその町で一生暮らすつもりだった。しかしある日、魔物ミルドラースによって町から連れ去られてしまう。

 

 ミルドラースが彼女を狙ったのは、エルヘブンの民のみが持つといわれる、ある能力が目的だった。

 

ーーその能力こそ、コレクションチェキである。

 

 彼女がコレクションチェキを描くたびに魔物界と人間界をつなぐ扉が開かれた。ミルドラースはそれを利用し、世界を破滅させようとしたのだ。

 

 しかしミルドラースが思っていたよりも、彼女のコレクションチェキは強力だった。ミルドラースはそのコレクションチェキを制御することができず、寝不足の日が続き、カフェインの摂りすぎで死んでしまった。彼が復活するその日まで、世界には安泰がもたらされるだろう。

 

 一方、Mちゃんは都会の利便性の良さに気づいてしまい、エルヘブンに戻ることができなくなってしまった。現在は東京で暮らしながら、生活費を稼ぐためにメイドとして働いている。

 

……

 

 わたしはMちゃんとのチェキ撮影を終え、自分の席へ歩いて戻った。隣に坐っていた婦人はいなくなっていた。財布はそのままテーブルの上に残ってあった。

 

 わたしは鞄からパソコンをとり出し、書きかけの論文の続きを再開した。

 

 テーマはもちろんわたしの専門分野である、コレクションチェキについてである。

 

 いにしえより人類はコレクションチェキとともに成長してきた。

 

 約一万年前にアフリカのホモ・サピエンスが農耕と牧畜とコレクションチェキを開始した証拠が遺跡から確認されている。その後人類は文明を発展させ、コレクションチェキを奪いあうために戦争を起こしてきた。

 

 いったいコレクションチェキのなにが人類をそこまで魅了しているのだろう。

 

 カントはコレクションチェキについてこう書いている。

 

「コレクションチェキにはアンビバレントな側面がある。ちょうど愛と憎しみのように、相反する感情が存在している。それが人々を惹き付けるんだ」

 

 ニーチェはこう語った。

 

「あなたがコレクションチェキを覗いているとき、コレクションチェキもまたあなたを覗いている」

 

 わたしはこう考察している。

 

「かわいい女の子と二分間もしゃべることができて千円は安い」

 

……

 

 わたしがパソコンを閉じたのと同時に、ちょうどMちゃんがやってきた。彼女はソロチェキを何枚かテーブルの上に広げ、そのなかから一枚だけを抜きとり、残りをポケットにしまった。

 

「ねえ、あなた、昨日はなにしてたの?」とMちゃんが訊いた。

 

「そんな昔のことは覚えてないよ」とわたしは答えた。

 

「あっそう。明日の予定は?」

 

「そんな先のことはわからないよ」

 

 わたしがそう言うと、彼女は黙ってしまった。そのまま二分が経過し、終わりを告げるタイマーが鳴った。わたしにはその音がオオカミの甲高い遠吠えのように聞こえた。

 

「完成したわ」と彼女はいって、わたしにコレクションチェキを渡した。

 

「ありがとう。すてきなコレクションチェキだよ」

 

「ねえ、明日も逢えるかしら?」

 

「さあ、どうだろう」とわたしはいった。「コレクションチェキが欲しくなったらくるかも」

 

「あなたって、毎日コレクションチェキを欲しがってるじゃない!」

 

 わたしたちは二人で大笑いをした。

 

 わたしは別れの挨拶を言って店を出た。そしてすぐに近くのトイレに入って隠れた。あぶない、もう少しで変身の魔法が切れ、ばれてしまうところだった。

 

 わたしは魔物ミルドラース。コレクションチェキのとりこ。